三戸町で債務整理の相談を行う弁護士・司法書士の法律事務所
三戸郡三戸町で、負債に関する悩み相談をすることが可能な弁護士と司法書士の法律事務所のリストです。
金融機関からお金を借りたはよいが、その後の借金返済に行き詰まった方々に、債務整理を実践することが可能な、三戸町の法律事務所を教示しています。
>> すぐに借金相談をする全国対応のおすすめ法律事務所
弁護士の僕がお勧めなのは実績が豊富な大手の法律事務所だよ。
ここでは、安心して三戸町で債務整理の相談ができる大手の法律事務所を紹介するよ!借金減額の無料診断(弁護士法人ユア・エース)
お勧め度 | |
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HP | |
債務整理の無料相談 | 〇 |
特長 |
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日本全国対応 | 〇(三戸町にも対応) |
相談可能時間 | 相談申込み:24時間365日受付 |
電話・メール | 〇 |
債務整理の料金 |
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無料借金減額診断(ライズ綜合法律事務所)
お勧め度 | |
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HP | |
債務整理の無料相談 | 〇 |
特長 |
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日本全国対応 | 〇(三戸町も対応可能) |
相談可能時間 | 24時間対応(メール) |
電話・メール | 〇 |
債務整理の料金 |
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アヴァンス法務事務所
お勧め度 | |
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HP | |
債務整理の無料相談 | 〇 |
特長 |
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日本全国対応 | 〇(三戸町にも対応) |
相談可能時間 | メールは24時間対応/電話は平日9:30-21:00 土日祝:9:30-19:00 |
電話・メール | 〇 |
債務整理の料金 |
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三戸町にある弁護士事務所
三戸町 総合相談会
債務整理の無料相談 | 〇 |
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所在地 |
三戸町大字在府小路町四十三番地 |
営業時間 | 13:30-15:30(実施日は広報などで連絡) |
電話 | 0179-20-1152 |
電車アクセス | 三戸駅 |
身の上で起きた、様々な法的問題に対して相談をすることができる、三戸町の行政が主催している法律相談会です。
弁護士との相談を希望されている方は、事前に電話で相談の予約をしていただく必要があります。
「知人の結婚式や葬式などの冠婚葬祭費用を用意するのに、キャッシング会社を利用したが、その後も借り入れを繰り返した結果、借金生活から脱出できなくなったので債務整理を考えている」、「日本経済の景気低迷によって、リストラが実施されたために、収入が減ってしまいローンの返済ができなくなったので債務整理を実行したい」、「家族に知らせることなく秘密裏に借金をしたが、その借金返済に困ってしまった」といった債務者に、三戸町の当所では弁護士がまず初めに借金相談で事実を確認してから、適切な負債整理の措置を行っています。
一人当たりの相談時間には制限を設けているので、前もって相談内容の要点を整理したうえで、相談を受けるようにしてください。
三戸町にある司法書士事務所
該当なし
上記掲載の弁護士事務所、司法書士事務所では、三戸郡三戸町内の三戸駅の地域にお住まいの借金整理・債務整理で悩まれている方を対象としています。
三戸町で債務整理をする際の関連機関
・三戸町役場
三戸町大字在府小路町43番地
三戸町に住んでいる人に役立つ債務整理の体験談
消費者金融であっさりと借り入れができたため、債務整理となった
債務整理方法 | 職業 | 年齢・性別 |
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任意整理 | 製造業 | 33歳(女性) |
私は短大を卒業後、、三戸町にある某製造会社で働き始めました。
金銭管理を全く行っていなかった
私は当時は、お金の管理を全くしておらりず、手元のお金が無くなったら銀行でキャッシュカードを使って、お金を引き出すという生活をしていました。
そんな生活でも、当時はあまり支出をしていなかったので、貯金はそこそこできていました。
私は会社の同僚とたびたび遊びに出掛けていたのですが、支払いの際に私は現金払いをしていたのですが、会社の同僚はクレジットカード払いでした。
私は買い物の支払いの際は、クレジットカード払いの方がスマートだと感じたので、その後、年会費無料だった三井住友カードを作りました。
私は三井住友カードを作って以降は、もっぱら買い物の支払いは三井住友カードを使って行うようにしました。
その結果、銀行のATMに現金を引き出しに行く機会が減り、手間と時間の節約になりました。
体調不良から病院へ
そんなある日、私は体調を崩してしまいました。
何をやるにしても気力が起きなくなり、仕事でも集中力が続かなくなりました。
朝起きるのがつらくなり、会社を休みがちとなりました。
私は自分の体に異変が起きていることは自覚していたので、三戸町の病院に行って、医者に診てもらうと鬱病との診断を受けました。
私が就いていた仕事は、激務だったために、いつの間にか心が病んでしまったようです。
私は、自分の上司に私の病状と医者からの診断書を見せて、「治療のための長期休暇の願い出」を出しました。
その後、上司は人事部の判断を仰いだうえで、私の申し出を受諾してくれました。
生活費が足りなくなり、キャッシングをするようになった
私は仕事を休んでいる間も会社から給付金をもらうことができましたが、基本給の3割だったので、生活費の支払いには足りませんでした。
私は貯金を切り崩して生活費の支払いに充てていたのですが、やがて貯金は全て使い尽くしてしまいました。
その後、私はお金に困ることになるのですが、その時に作ってあった三井住友カードを使えば、キャッシングをすることで現金の借り入れができることを思い出しました。
私は、お金に困るたびに三井住友カードを使って、キャッシングをするようになりました。
すると、当たり前ですが、今度は三井住友カードで借りたお金の返済に困るようになりました。
この時に、私は三戸町の近くにあった消費者金融のアコムで借り入れをしました。
私は会社を休職中でしたが、会社を辞めた訳ではなかったので、アコムの融資審査は問題なくパスをすることができました。
アコムでは、現金自動支払機のATMを使うことで、簡単に借り入れができるキャッシングカードを発行してもらうことができたので、生活費や借金返済のお金が足りなくなるたびに借り入れを繰り返してしまいました。
その後、私は今度はアコムの借金返済に困るようになったので、大手消費者金融であるプロミスからも借り入れをしました。
その結果、私の借入先件数は3件となり、借金総額は150万円ぐらいにまで膨らんでしまいました。
私は家賃や水道光熱費の支払いにも苦労をするようになりました。
また、借り入れをした貸金業者への借金返済を滞納していたので、私が住んでいる三戸町の賃貸アパートに督促の郵便物が送られてくるようになりました。
私は電話でも取り立てを受けていたのですが、せめてもの救いは、相手の話し方が丁寧な口調だったということです。
罵声を浴びせられたり、脅されるようなことは無かったのですが、それでも私にとってはかなりのプレッシャーとなりました。
借金問題を抱えてしまったので、債務整理をすることにした
私は今のままだと、鬱病の症状が悪化してしまうと思ったので、借金問題を解決するための債務整理を行い、なおかつ、お金を稼ぐために復職をすることにしました。
私は復職をする前に、三戸町で行われていた弁護士相談会へ出掛けて、自分が負っている借金の今後の対応方法について相談をしました。
私にとって弁護士に相談をするということは敷居の高いことでしたが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。
私は弁護士との相談会場へ行った後、自分の番がやって来て、三戸町の弁護士との面談が始まりました。
私は小部屋に通されて、そこで、テーブル越しに三戸町の弁護士と話し合いをしました。
私は借金を抱えたいきさつと借金総額や債権者名、貸付金利、返済期間などを三戸町の弁護士に説明をしました。
三戸町の弁護士からは自己破産という選択肢もあるが、これから復職して収入が増えるのなら任意整理で債務整理を実施するのが適切との意見をもらうことができました。
債務整理は任意整理で行うことにした
私には自己破産というと社会の落第者といったイメージがあったので、私は任意整理で債務整理を行うことを決めました。
私は任意整理の手続きを三戸町の弁護士に依頼したのですが、その際に、弁護士に「クレジットカードとキャッシングカード」、「銀行預金通帳の取引履歴」、「住民票」、「源泉徴収票」を渡しました。
また、三戸町の弁護士との間で委任契約書を作成したのですが、その時に持っていった印鑑を押印しました。
三戸町の弁護士に任意整理の処理を依頼した時点で、弁護士が各債権者に私の代理人となった通知を送付したので、私は債権者から取り立てを受けなくなりました。
その後、三戸町の弁護士から中途経過の報告があり、最終的には、各債権者と今後の返済方法に関して合意に至ったとの連絡を受けることができました。
三戸町の弁護士が真摯に私の借金問題の解決に取り組んでくれたおかげで、私は債務整理後は、借金の支払いを継続できるようになりました。
私は借金問題を抱えた際に、もっと早くに専門家に相談をするべきだったと反省をしています。
そうすれば、傷口が深くなる前に、債務整理に取り組むことができたので、債務整理後の借金返済は今よりの楽になっていたはずです。
債務整理となった根本原因はバブルの崩壊
債務整理方法 | 職業 | 年齢・性別 |
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自己破産 | 無職 | 72歳(男性) |
僕は約30年前に、自己破産という債務整理方法を実施しました。
ここでは、今現在、借金問題を抱えて困っている方々のために、僕が債務整理に至った経過について叙述したいと思います。
日本経済のバブル時代
僕は若い頃は電気工事関係の自営業をしていました。
新築の家の電気配線の工事をする仕事を主に受けていました。
1980年代の後半から1990年代の前半に掛けて、株価や不動産の価格が上昇をし続けました。
そのため、個人である一般庶民の金回りが良くなり、戸建ての家を建てる人が増えました。
当時は、仕事の受注がありすぎて、仕事をさばききれないぐらいでした。
僕は手取り月収で200万円ぐらいを稼ぐことができ、節税目的で、銀行から借り入れをして、事務所用の土地を購入し、事務所を建てました。
その後、僕は毎月、銀行に借り入れした資金の返済を続けていました。
当時の日本は「ジャパン アズ ナンバーワン」と言われており、僕はこのまま、この好景気はずっと続くものだと思っていました。
バブル崩壊と大不況
ところが、1990年の中盤に日本経済は崩壊し、株価と不動産の暴落が始まりました。
銀行が抱えている不良債権問題が表面化し、北海道拓殖銀行が経営破綻しました。
また、株価が暴落した結果、山一証券会社が経営破綻しました。
経済が崩壊して、初めて日本経済は砂上の楼閣といえるバブル経済だったことが明らかになりました。
バブル経済がはじけた後は、建築業界にも不況のあらしが吹き荒れました。
不況となった結果、仕事量は急激に減っていきました。
また、それだけでなく取引していた会社が倒産をしたために、売掛金を回収できないということが度々、起こりました。
電気配線関連の資材の支払いがあったので、バブルの頃にためていた資金は底をついてしまいました。
僕は、銀行から借り入れをしていたので、その借金返済に困るようになりました。
僕はこの時に、借金返済のお金を用立てするために、三戸町にある別の銀行からも借り入れをしようと考え、融資の申込みをしたのですが、自分の事業の経営状況が芳しくないことから融資審査に落ちてしまいました。
僕は銀行への返済期限が近づいていたので、焦ってしまい、銀行と比べると比較的に借り入れをしやすいキャッシング会社で借り入れをすることにしました。
僕は三戸町の近郊にあるキャッシング会社に借り入れの申込みをしたのですが、無事にお金を借りることができました。
但し、銀行の貸付金利は実質年率で8%ぐらいなのですが、それと比較するとキャッシング会社の貸付金利は20%近い高金利でした。
その後、僕は仕事に奮闘をして、自分の事業の売り上げ回復に努めたのですが、不況という時流の流れに逆らうことができず、売り上げを回復させることができませんでした。
その結果、僕は銀行とキャッシング会社に作った借金の支払いに窮するようになりました。
月々、支払わなければならない金額は約30万円になっていたのですが、払うことはできませんでした。
僕は何とか打開策を見出したいと考え、あまり景気の影響を受けない、福祉関係のアルバイトに就きました。
また、奥さんにはパート仕事に出てもらいました。
収入を増やすための努力はしたものの、焼け石に水状態でした。
借金問題を解決するために役場に相談
そこで、僕は何とか打開策を見出そうと思い、自分の借金問題に関して、三戸町の役場にある相談窓口で相談をしました。
すると、三戸町の役場では、不定期に弁護士法律相談を実施しており、そこで相談をすれば、法律の専門家である弁護士に借金問題を解決するための方策を仰ぐことができるということを教えてもらえました。
そこで、僕は自分の負債状況をまとめたうえで、三戸町で実施している弁護士法律相談に参加をしてみました。
自己破産で債務整理を実行した
弁護士と話し合った結果、僕は事業の継続を諦めて、自己破産をすることにしました。
弁護士が裁判所に破産手続きを行ってくれることになったのですが、そのために必要な資料として、事業関係の帳簿、住民票、確定申告書、家計簿などを用意する必要がありました。
僕は弁護士から言われた資料を集めたうえで、弁護士に手渡しました。
それから約1ヵ月が経過したときに、弁護士が裁判所に破産申し立てを行ってくれました。
僕には土地や建物という財産があったので、裁判所において管財事件として取り扱われ、僕の所有していた財産は裁判所の破産管財人の管理下に置かれました。
その後、僕が所有していた土地や建物は競売で売却されて、その売却代金は借金返済の原資として使われました。
それから程なくして、裁判所において、僕の借金の免責が決定されました。
その結果、僕は財産は失ってしまいましたが、借金の全額を消滅させることができました。
債務整理に着手後は、僕と妻は三戸町の賃貸アパートに移り住みました。
そして、僕は福祉関係のアルバイト、妻はパート仕事をすることで生計を立てました。
今は僕も妻も仕事をリタイヤしていて、年金暮らしをしていますが、自分の人生をあらためて振り返ってみると、山あり谷ありで、波乱万丈な人生だったと感じています。
幸いにも僕も妻も健康なので、今後も健康に気を付けて、余生を楽しんでいこうと考えています。